2月後半の日記

2024/2/15

今日は検診が16時~の予約で入っていたため、のっそりと起き上がり、重い身体で準備を行う。
最近起床が遅い&胃の調子が悪いため、朝食にランチパック・ピーナッツを食べた後(今年はヤマザキ春のパン祭りに本気で参加する所存のため、もっぱら朝はヤマザキのパンである)、どうにもお腹が空かず、ランチを飛ばして病院へ行った。

一食食べても食べなくても一緒でしょ、と思っていたが、腹の子が欲するのか、はたまた体質が変わってしまったのか、病院の待ち時間に空腹で手が震え始めてびっくりしてしまった。これが噂の低血糖??(違う気もする…)

病院が終ってすぐ、近くのカフェに滑り込み、17時に遅いランチにありつく。
口コミがいまいちだったから食事はしたことがなかったのだが背に腹は代えられない。
パスタやサラダ、グラタンなどがあったが、ジェノベーゼを注文。ちなみに同行していた夫も同じものを頼んだ。

パスタは予想に反してすっごくおいしく、夢中で食べてしまった!


綺麗な緑色に染まった麺をくるくると巻き付けながら、そういえば私の人生にジェノベーゼが登場したのはだいぶ遅かったな、と思った。
小さい頃、家で母が作ってくれるスパゲッティと言えば、ミートソース、ナポリタン、たまにボンゴレ、さらにたまにクリームソース系であったし、家族で食事に行った際も、注文するのはクリーム系かトマトソース系の家庭であったからだ。

初めて自発的にジェノベーゼを頼んだのは、たぶん夫と付き合い始めてから。彼がジェノベーゼを何かのタイミングで頼み、食べさせてもらったとき、とてもおいしく衝撃を受け、それから自分でも頼むようになった。
夫はジェノベーゼやペペロンチーノがすごく好きで、基本的にそれらを頼んだり作ったりする。全く違う文化圏の人だな、と思ったし、それで私の人生に美味しい選択肢が増えたのだからとってもありがたいと思う。

でも未だに、パスタを選ぶとき、私はクリーム系が第一候補に来るし、それ以外を選択するのに結構ドキドキしてしまうのである。
小さい頃からの習慣や、家庭の味というものは一生モノなんだな、と納得し、それを少しうれしく思うなど。

 

2024/2/23

出産予定日までほとんどあと1週間と迫った日、マタニティフォトを撮ろうということで、近所の写真館へ出かけた。おしゃれなスタジオではなく、昔ながらの写真館というところが私たちらしく、密かに気に入っている。

私たちは基本的に「計画」や「先んじて行動」ができない夫婦のため、何事もぎりぎりにならないと動けない&実行されない。そのため、本来産まれていてもおかしくないこんなぎりぎりの日にちでしか腰を上げられなかったのだ。恥ずかしい限り……。

そもそも妊娠時点では、マタニティフォトなどを撮影する人たちのことが信じられず(なんだかとても恥ずかしいと思ってしまった)、私は絶対に撮らないだろうな、と思っていたが、やっぱり当事者になると、おそらく最初で最後の妊娠の様子を残しておきたいみたいな気持ちが働き、撮影することになった。でも、絶対にお腹を出す(素肌を出す)ことはしたくなかったので、お腹がちょっと目立つような服で撮影をお願いした。

予想以上に写真館の方々が親切&熱心で、アドバイスや構図を考えてくださって、とても楽しくリラックスしながらの撮影となりうれしかった。
私も夫も写真が苦手なため、若干笑顔がぎこちないが、それが私たちらしいとも思う。

出来上がりは1か月先とのこと。すでに子どもが産まれている日取りになるため、お腹に入っていたことをきっと懐かしく思ってしまうんだろうな、と近い未来に思いを馳せている。

現実まで、もう少し。

 

子を身ごもっている現在であるが、未だに「本当に?」という気分が抜けないのも事実で。もう臨月だから、まあるいお腹の存在感も、ぽこぽこぼんぼんと思ったよりも強い力でお腹を押す胎動もすごい。確実に自分の意志とは関係のない生命がいるのを感じている。

すごく愛しく思って、私の人生のすべてをかけて守りたいとか、もうこの子を産むためなら最悪出産で死んでも良いとか、そういう風な自己犠牲の精神を発揮してしまう、うっとり自己陶酔な瞬間も、ものすごくあるのだけれど、でもふと正気に戻ると、なんだろう、「本当のことなんだろうか?」「子どもが出てきて、一人の人間を本当に産むのか?」「産むってなんだ???」「育てるって??」「一人の人間を???私がどうこうする???」と本当に頭が混乱してしまう。

 

昨夜夫に「生まれてこなきゃ良かったって思ったことある?」と聞いたら「それはない」と言われ、私は物心ついたころから『生まれてこなきゃ良かった』とふとした瞬間に思ってしまう気質の人間なので、そんなすぐに否定できる人がいるんだと、とても驚いた。

だからこそ、自分の子どもが欲しいとか、積極的に思ったことはなかったんだよな。学校も嫌いだったし、不登校にならなかったのも、運よく周りに恵まれたからと、ぎりぎりでバランスを取って何とかかんとか日々を流せてきたからで。今こうやって何とか生活しているこの瞬間も、社会の仕組みもよくわからない。そんな風だから積極的に子どもを持ちたいなんて思ったことがなかった。

夫との話し合いや、いろんな葛藤、そんなものを経て子どもを持とうという決断に至り、運よくありがたいことにお腹に来てくれたわけだけれど、前述の事情から、本当に子どもを持ってよかったんだろうかとかそういう資格のようなことを考えてしまう。

 

資格とかそういうものは今も分からないし、すべて私たち親のエゴで生み出されるあなた。少しでも、生まれてきてよかった・結構面白いところじゃん、って思ってもらえるように努力するから、綺麗なものもたくさんある世界だから、君よ、どうか安心して生まれてきてほしい。どうしようもない悲しいことも醜いこともあるけれど、一緒に乗り越えていこう。そうとしか今は言えないけれど、あなたを身ごもってから、私は世界が少しだけ彩を増した気がする。

 

今はとにかくあなたに会ってみたい。
会えたらとても、とてもうれしいのだと思う。

 

 

2月前半の日記

2024/2/5

3回目の結婚記念日、お花を貰った。私はお花を貰うのが大好き。

実家の父は毎年結婚記念日になると、母にお花を贈っていた。
仲が良い夫婦とは言い難い二人だが、そういう習慣はいいなあとずっと憧れていた。

たぶん最初の結婚記念日に夫にそれを話し、お花を買ってもらったのだ。
それから覚えていて、今年はギリギリセーフ(花が欲しいといわれたことを忘れていて、夕方慌てて買いに行っていた)だったけれど、きちんと花を贈ってくれる夫は優しいと思う。

ありがとう!これからもよろしくお願いします。

 

2024/2/14

バレンタインのため、夫を連れてチョコレートを買いに行く。
複雑な味がわからない、好きではない夫は、もっぱらリンツがお気に入りで
最近は毎年リンツの好きな味を好きなだけプレゼントするスタイルに落ち着いている。
ハラハラするようなバレンタインではないけれど、
ルーティン化されたイベントを過ごすと、積み重ねてきた日々は無意味ではなかったのだなと思えたりする。